2019年10月25日金曜日
就寝時刻:忘れた
起床時刻:15時
起きてプロントで遅めの一食目をとる。確か16時過ぎくらい。
カフェで時間つぶして、18時から山下洋輔のライブを聴きに行く。多分いい演奏だったのだろうが、屋外でステージから遠くて迫力を味わえなかったのと、雨が降っていて雨音で集中できなかった点、何より他の客の傘でステージが見えなかったのが残念だった。
19時から別のを2時間くらい聴く。非常に充実していた。めちゃいい演奏を良くない音響で聴くより、いい演奏を良い音響で座ってゆっくり聴く方が良いなあ、と思ったが、演奏として全然劣るものではなかったと思う。初っ端からエネルギーに満ちていた。無名だったかもしれないが、むしろそれを覆して登っていってやるという全力で燃焼する感じすらあった。もちろんテクニック等聴いていて申し分ないのは前提で。とにかくパワフルに正確に叩いて煽っていくドラム、同じくパワフルに技巧をフル活用して負けじと引っ張り返すベテランのサックス、堅実に支えるベース、食らいついて盛り上げていくピアノとトロンボーン、そんな関係性を想像する。
それが終わって帰った後は何をするでもなくダラダラ動画を見てしまう。最近そんな感じだ。
2019年10月24日木曜日
就寝時刻:29時
起床時刻:13時半
夜は何となくまた留学について調べていてハイになっていた。なんでだろう。最近またちょいと哲学、というかテクスト読みモードになっていて、それをするなら義務があれど評価もされる場があるという方がいいかもしれないと思った。サラリーマンでいるよりはよっぽど誇りが持てる。一回投げ出してしまっているわけだけれど。
昼過ぎに起きる。何となく吐き気がして食欲が湧かなかったのでゼリーで昼食を済ませる。カフェでパソコン開いて本を読み、マックでチーズバーガーを食べて美容室。それが終わったらなぜかくたくたになって帰って寝る。夕食後にまたちょっと寝てしまう。パソコンを開くとダラダラやってしまいなかなか寝れない。生活の規律よ。ぐちゃぐちゃだ。
2019年10月23日水曜日
就寝時刻:27時
起床時刻:12時半
気分:20点(100点満点)
昼頃起きる。最近食欲が湧かない、起きてから何となく気持ち悪い。でも空腹ではあるし栄養は必要なのでとりあえず外に出て台湾まぜそばを食べる。その後図書館に行き、カフェへ。
2019年10月21日月曜日
就寝時刻:25時
起床時刻:12時
気分:50点
朝なぜか割とシャキッと起きられる。朝というか昼だけれど。寝付きは良かった、前日3時間しか寝ていなかったので。
起きてすぐパスタを食べに出る。いつもどおり美味しかったけれど、まあしばらくいいやと思ってしまった。そのまま病院へ。40分くらい話してくれて、結構相談に乗ってくれた。ありがたい。その後少し歩いてカフェで考え事をして時間をつぶす。またパソコンを取りに帰って、別のカフェへ。
2019年10月19日土曜日
就寝時刻:25時
起床時刻:14時半
前日がめちゃめちゃ寝不足だったのでたっぷり寝てしまう。起きるのがめんどくさい。憂鬱である。プロントのパスタでいいやと思ってしまったので時間制限もなく、寝過ごしてしまう。「これではいけない」と思ってほどほどに起きたのがこのくらいの時間。
プロントでパスタを食べて、書店でちょっと立ち読みをして別のカフェへ。何となく画面を見ていること、室内で座っていることに疲れて外に出る。軽く散歩して別の安いカフェへ。自分がどの方向に歩いているか分からなくなりどこに出るか分からなくなる散歩が最近好きだ。
夕食の後、だらだらして、1時間ほど散歩する。
苫米地英人の本を読んだ。
コンフォートゾーンの作り方【聴くだけで目標達成できる!CD付】?図解TPIEプログラム?
- 作者: 苫米地英人
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ごく簡単に要約するなら、
- 人間にはコンフォートゾーンがあり、コンフォートゾーンに対してはホメオスタシスが働く。コンフォートゾーンに戻ろうとする。
- だからコンフォートゾーンを現実とは異なるところに設定できればそこに近づく力が働くことになる。コンフォートゾーンから現状が離れていればいるほど戻る力が強く働く、ということはゴールとしてできるだけ高いものを設定すれば、それだけ強く引き付けられるわけである。
- ゴール=未来の記憶をコンフォートゾーンと設定するためには詳細に具体的にイメージすることが肝要である
というあたりだろうか。
しかし、もちろんコンフォートゾーンの原理はゴールを設定する段階でも働くわけであって、ゴールを設定できたらそれだけ強く引っ張られるのと同じ力で、そうしたゴールのイメージを阻む力が働くわけである。あるいは、簡単にゴールをイメージできたとするならば、そのイメージを持つのと同じ容易さでゴールは破棄されてしまうだろう。決してイージーな道を提示したことにはなっていない、と思う。そのためにコーチングやら何やらが必要ということなのだろうし、具体的な方法論はこの本で掘り下げられていないのだろうけれど。
その後歩きながら本の内容を反芻していて、自分はそうした理想的なゴールを全然描けないなと思った。もちろん億万長者になりたいかなりたくないかで言えばなりたいが、そこまでなりたいかというと分からない。幸せなパートナー、幸せな家庭も、もちろんほしいのだけれど、獲得・維持の努力とセットで想像するとイメージが湧かない。誰も責任は取ってくれない、誰かがいいと思うものも自分にとっていいとは限らない、そう思って純粋に自分自身の内面と向き合うとまるで欲望が欠如しているように思える。こうなりたい、と自然に出てこない。大学時代までは何となく「こんなことしたい」というのがあって、完璧ではないにせよそれなりに楽しく過ごした(主に留学・旅行・恋愛)。しかしそれらの快楽は色あせて、もうこの先望まない。世界一周したわけではないし行ってみたいところはなくもないけれど、恋愛だってオフィスラブとか不倫とか外国人とか興味なくはないけれど、強く突き動かすほどではない。人生をこうしたいという気持ちがちっともなくて、ただただ空虚で、向き合えば向き合うほど悲しくなってしまった。「こうなりたい」「こうしたい」という気持ちがあって、一生懸命働ければいいのに。
自分の性格の中に、何をしても文句をつけて腰の重い奴がいる。誰かが「〜してみたら」と提案しても理由をつけてやろうとしない、やる前から悪く言う。自分の中のそういう声を切り捨てていこう、そういうのは他人からの押しつけだから本当の自分の声を聞こう、そんな風にハウツー本では言われがちだと思う。でも、僕はこの偉そうな不安な批評家こそが自分だと思う。大切にしてあげたいと思っているし、これこそが自分だという思いを捨て去ることはできない。誰かに言われてそれを真に受けて切り捨てるなんてことはしたくない。一緒にやっていくしかないと思う。確かに、最近は「このわがまま何とかならないかな」「こいつはこいつで放っておいたりなだめすかしつつ、実際のところは動いていかないと」みたいな声も出てきた。しかし、まだその声は弱いし、その声によって不安な批評家をお荷物扱いしたくはないと思う。無理やり矯正するのも違うと思う。そこはもっと自分との向き合いが必要だなあと思う。