2019年6月27日木曜日
就寝時刻:1時半
起床時刻:9時半
朝起きてからめちゃくちゃ眠い。イライラする。低気圧の影響があるのだと思う。
とりあえずカフェに行って朝食を食べ、だらだらとネットサーフィンする。
眠くなるので昼寝する。昼食を食べに外に出て、また戻ってきて昼寝する。台風が接近しているせいか、ひたすら眠い。何もする気が起きず、集中もできない。そんな日もある。
復職についてイメージしているといろいろなところで突っかかってくる。
毎日朝起きて定時に行くの、想像するだけでキツイ。できないことではないかもしれないが。サボるほどではない抵抗感が毎日じとじととつきまとい、結果として10分くらい遅刻することで、溜飲も下がって社会に帰属できる、ちょうどバランスの良い点となる。それがだんだんと後ろにずれていき、ついに帰属を放り投げてしまった、とでも言えるだろうか。
復職といいつつ、活き活きと働ける気はしない。なぜなら、そんな瞬間が一度もなかったから。死んだ目で何とか毎日やり過ごすことができればそれが復職か。「復」といいつつ、元に戻ることが求められているのではない、なぜなら元に戻ってしまったらまたうつ病へまっしぐらだから。生まれ変わることが求められている。中身を入れ替えることが求められている。しかし、それはなかなか水準が高くはないか。
何かをやれと言われる、あるいは打ち合わせに向けてやらなければいけない。「うっ」となる。誰かに聞かなければいけない。頼りながらやっていく。頼む精神的負担、仕上げる精神的負担。その負担は給与以外の何によっても報われることはない。
復職を基準にして考えれば、転職についても今までと別様に考えられるかもしれない。あんまり狭く的を絞って「あれじゃなきゃ」「これじゃなきゃ」と考えるのではなく、「何をやるかは大事ではない」「今よりマシにだけなればいい」と緩めること。
何か別のことをするにしろ、復職してうまくやっていくにしろ、主体的に仕事に取り組むとか気分転換してストレスと上手くやりあっていくとか、そういうことが求められると思う。どちらにも共通して求められているものが、自分には欠けている気がする。
ランニングをしようと思って靴を買ったが、していない。旅行のためにバックパックを買ったが、していない。する気にならない。外濠を埋めても動機づけられない。これは昔からだったかもしれない。
海外旅行をしたいと思う。『地球の歩き方』を熱心に読むし、海外の知り合いのツイッターを読んでは憧れる。しかし、実際に行こうという気にならない。催眠術にかかったような、心の鍵がかかったような感じだ。
外的動機づけと内的動機づけについての本を読んでいる。全てを外的動機づけに関連して、快楽に還元してしまっているからいまいちやる気が湧いてこないという説。しかしでは、内的動機づけとは? フローは入ったら楽しいとして、フローへと導かれるためにはどうすればいいのか?