うつ病日記

うつ病で2018年秋から休職中

2019年8月9日金曜日

就寝時刻:25時

起床時刻:9時半

気分:55点(100点満点)

 

前日は徹夜の効果のおかげで早く寝られた。起きたら疲労感があったがだるさはない。普段の鬱病由来のだるさとは違う感じがした。寝不足というのは本当はこんな感じなのだと思う。カフェで朝食を食べる。

家に帰って昼寝の後、家の近くでラーメンを食べる。国立西洋美術館へ。暑い中少し列に並んだが、中はゆっくり見られた。感想は後で書く。その後カフェで少し時間をつぶし、マッサージに行ってから帰る。

 

昨日の深夜に勢いで応募した求人に関して、レスポンスがあった。電話で志望動機など尋ねるという。履歴書も職務経歴書も送っていないし、色良い返事ではないんじゃないかという気がして気が重い。ネガティブに考えすぎだろうか。とりあえず応募してしまったことで心に動きが出ている。気付きがあるのはいいことだと思う。

元の部署で異動とか退職があるらしい。結構変わる。そのあたりもゆっくり考えたい。

 

松方コレクション展、非常に良かった。

広告とか見ていると、まずこれはコレクション「の」展示であるように思われる。実際にそうだった。モネやルノワールがたくさんあった。オルセーのゴッホバーゼルマティスもさすがに見応えがあったし、ムンクの労働者も良かった。ロダンも結構あった。質の良い20世紀初頭の絵画を存分に楽しめるというのは間違いない。何ならそれだけでも十分だったかもしれない。しかし、この展覧会はその先に行っている。

コレクション展はコレクション「についての」展示でもあった。コレクションがどのようにして形成され散逸し、一部が返還されたか展示で説明されており、そうした経緯を跡づけるための史料(倉庫の作品リスト、取引のレター、美術館の写真など)も展示されている。モネの『睡蓮、柳の反映』については、劣化と修復についての詳細な説明がなされていた。コレクションを維持・管理し展示するスペシャリスト達の努力が紹介されている。それ自体なかなか光が当たらなくて興味深いものだし、素直に頭が下がる。

さらに、「についての」性は作品の選択にも反映していたように思われる。第一次世界大戦時に船を大量に販売して獲得した資金を原資に形成されたコレクションであり、世界恐慌第二次世界大戦で散逸してしまったコレクションである。時代の流れに支えられて、戦争と資本主義のおかげで存在した、あるいはそのせいで失われたコレクションである。そういった無情さ、芸術界を支える下部構造の表現も展覧会の主題であったと思う。展示されている作品にも、耽美的なものばかりでなく、戦争のイデオロギーを濃厚に反映したもの、スポーツをしている男性を描いたものなども含まれている。そうした面からも、芸術が社会的現実と無縁ではないことを思い知らされる。あまり詳しく書かれていなかったが、返還された経緯も少しどうかと思う。いったいいかなる資格でコレクションの中の重要作品を返還対象から外すことができたのか? 戦勝国だから? でもそもそも松方がこれら芸術作品を占有していたのも、第一次世界大戦に乗じていたからであった、それはいいのか? そうした倫理的な問いかけへと誘われる。当たり前のように享受している国立西洋美術館の充実したコレクションも戦争とは無縁ではない、平穏な日常生活は動的な社会情勢と連絡している、ということにはっと気づかせる展示であった。

 

常設展は疲れていたので早足でさっと済ませて(シニャックハンマースホイはやはり良かった)、「モダン・ウーマン―フィンランド美術を彩った女性芸術家たち」を見る。もうあんまり集中力がなかったが、表現主義だったり象徴主義だったりいろんな潮流を採り入れていて、普通に楽しかった。